トップ > テキスト > 娘の誕生日に


どうしようもない片田舎を走る一台のバス。
バスには、運転手と乗客が一人。
この道も普段は乗客がいない寂しい道だが、今日は珍しく乗客がいる。
ちょうど良い話し相手に、運転手は気さくに声をかけた。

 「洒落た格好で、これから結婚式ですか?」

ミラー越しに、乗客の男と目が合う。
男は、運転手の見立て通りのスーツ姿だった。
いきなり話しかけられて驚いたのか、はたまた世辞に気を悪くしたのか、しばらく返事はなかった。

二つ先の停留所は教会だったが、結婚式ができるような所ではなかった。
冗談のつもりだったのだが、結婚式というのはまずかった。そう思っていると、

 「いや、娘に会いに行くんだ」

どうやら怒ってはいないようだった。
それに気をよくした運転手も言葉を返す。

 「娘さんに会うのに、そんな格好で? そりゃ、娘さんはたいそう綺麗な人なんでしょうね」

それを聞いて、男は僅かに口元をゆるめた。

 「ああ。親が言うのも難だが、綺麗な子だ」
 「いいお父さんを持って、娘さんも幸せでしょう」

その言葉を聞いたとたん、一転して男の表情が険しくなる。
反応に訝しみながらも、空気を変えるために話し続けた。

 「今日はどうして娘さんに?」
 「……誕生日、なんだ。娘の」

そう言った男の表情は、依然険しいままだ。

 「娘さんの誕生日でしょう。もっと笑顔でいきましょう」
 「……娘に会うのは、年に一度きりなんだ」
 「もっと会えばいいじゃないですか」
 「娘は私に会いたがってはいない。何よりも私にはそんな権利はない」
 「喧嘩でも、したんですか?」

重苦しい空気に、自然と運転手の声色も低くなる。

 「もう……5年になる。娘には酷いことをしてしまった」
 「そう、なんですか。でも――」

部外者が深く関わるべきではないとわかりながらも、一言だけ口を挟んだ。

 「でも、心の底では、もっと会いたいと思ってるかも知れませんよ」

運転手の言葉に、男は僅かに嘲笑しただけだった。



しばらくして、停留所である人気のない公園前に停車するバス。
男が降りる気配は一向にない。
ミラー越しに映る顔は、先ほどの嘲笑のままだった。
これには運転手も不気味に思い、恐る恐る、男の行き先を尋ねることにした。

 「この先は人気がありませんけど、どこで降りられますか?」



 「教会だ」


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