トップ > テキスト > 音楽は料理である


私がヘッドホンに大枚をつぎ込んでることを知り、親切にも友人の一人がこう言った。
馬鹿じゃないの、オーディオなんてオカルトだ、と。
悔しい。
悔しいので、オーディオにお金をつぎ込むことが如何に合理的で、繊細で、知的で、ユーモアに富んだ趣味であるか、
ほんの少しだけ書いてみる。

まず始めに、音楽は料理であると考える。
スピーカーやヘッドホンといった機材は料理人である。
CDというレシピ通りに料理を作るのが仕事であり、
中にはクセのある料理人がいて、味付けに一工夫をしたり、ときに料理を黒コゲにしたりする。
しかし、これらは数値では語り尽くせないものを秘めている。
成分を分析したところで料理の味というものを語れないように、音楽の味というものがあるのだ。
どうも、「音」という曖昧なところがオーディオをオカルトと定義する所以らしいが、
料理の「味」に対しては寛容な場合が多い。納得いかない所だ。
おいしい料理を求めることが自然なように、いい音楽を求めるのは自然なのだ。

さて、スピーカーやヘッドホンが料理人ならば、他の機材はどうだろうか。
ケーブルやアンプ等は、さしずめ食器や調理器具といったところだ。
料理人を補助するのが仕事だが、これが実に大切な仕事なのだ。

フランス料理をドンブリに盛りつけて出されたら、普通は仰天するだろう。
おフランスの料理なんて食べたこと無いなら、これはどうか。
みそ汁を頼んだら、ワイングラスになみなみと注がれて出てきた。おもむろに手元を見ると、ナイフが置かれている。
おかしいと思い店の看板を見ると、寿司レストラン(冷やし麻婆豆腐はじめました)と大書されている。
なかなかユニークなレストランだ。
これはこれで楽しめるが、できれば正しい食器を使って欲しいと思うだろう。
調理器具も、正しいものを使っているとは考えにくい。
中華鍋でみそ汁くらい余裕で作ってしまいそうだ。

このように、ケーブルやアンプ等も大切だというのはわかってもらえただろう。
料理人がうまく使いこなせる器具なら、料理もおいしくできるというものだ。
料理に見合った食器なら、食欲もそそるのではないだろうか。

少し長く書きすぎたようだ。
しかしその甲斐あって、料理と音楽の楽しみ方が似ているということを、わかっていただけたと思う。

最後に結論を着けると、オーディオ機器は高すぎるということだ。

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