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あいまいな中央分離帯

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私は死体ですらない。死体として扱われない。
粗暴に。乱雑に。
まるで物のように、ゴミ袋にうち捨てられた。
いや、それは正しくない。実際に物なのだから、ただゴミを捨てただけなのだろう。
人であったかもしれないモノ。人になるはずだったモノ。
それを物として扱うことが、はたして悪だろうか。

例えば堕胎。
人々がその暗部に触れるのは、たまに流れるテレビ番組くらいのものだ。
視聴者は、時に悲しみ、医者を、病院を、その倫理を批判する。
しかし、本当に「モノを物」として扱ったのは、堕胎を希望した者のはずだ。
法律に照らせば、妊娠期間が一定を越えれば、人になるべきモノは、人として扱われる。
故に、堕胎を希望するのは時間に左右される。
その時間制限の中、堕胎を希望した者の人生と比較すれば即決といっても良い早さで、堕ろすとを決めたのだ。
悩み、苦しんだ者もいた。悩み、苦しみ、幸せすら与えて貰えなかったモノがいた。
そのモノは、生まれて人になることも、死んで死体となることもなかった。

一体、何のために生まれてきたのか。
考えても仕方のないことなのだ。丸められたティッシュの中で、残りの時間を怠惰に過ごすとしよう。

※この文章は「悪」「悲しみ」「死体」を文中に使用した三文形式です。

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